「 世界で一番大事 」


 世界で一番大事なものって、なんですか?



「上田さん、世界で一番大事な物、なんですか?」
 奈緒子は唐突に、口を開いた。
「ん?なんだいきなり」
「何となく思っただけですけど…ってか、上田さんにありますか?世界で一番大切なもの」
 二人でいる事に慣れた、何の変哲のない平凡な一日、のはずだった。
「世界で一番大切な…もの?」
「ええ」
「YOUはあるのか?」
「私ですか?私は自分ですね」
 その返答に、上田はきょとんとする。あまりの即答だったから、かもしれない。
「自分、か?」
「ええ。実は昨日から思い立って、考えてたんですよ。それで私は自分自身だな、って。あ、母も大事ですけどね」
 それはつまり、家族、と言うことなのかもしれない。
「…おかあさん元気か?」
「元気なんじゃないですか?あの人、最近あっちこっちでかけてるみたいでなかなか電話しても繋がらないんですよ。ってかおかあさんって言うな」
 奈緒子のその言葉に、上田は思わず口元を緩めた。確かにいつ頃からか、奈緒子の母である里見はよく地方に出かけているようだった。インターネットを通じて、里見の書く札を買い求めるものが数を絶たなくて、それを直に届けているのが原因だろうと上田は思った。
「いいじゃないか、俺とおかあさんの仲だ」
「どういう仲だ」
「こういう仲だろ」
 不機嫌、上機嫌。どちらにも区別しがたい、少し離れた位置に腰掛けていた奈緒子の肩を少し強めに抱き寄せて、頭、髪の上に軽く唇を落とした。わざとにチュッと音を立てる。
「やめろ馬鹿、エロオヤジ」
 肘で上田の鳩尾の辺りを打ちながらも、奈緒子の表情は緩やかに微笑んでいた。
「んー」
 その表情に、思わず手を伸ばす。胸元に。
「調子にのるな、馬鹿」
 が、ひゅるりと身をかわされた。随分素早くなったものだ。
「いいじゃないか、知らぬ仲でもあるまいし」
「時と場合によるんです。今は駄目」
「何だよ、ったく」
 可愛い、愛しい。小さく舌を、ベーと出す奈緒子を見て思う。
「それより、質問の答えをまだ聞いてませんよ」
 少し乱れた衣服の胸元を正しながら、奈緒子はあっけらかんと言う。
「世界で一番大事なもの、か?」
「ええ。いちいち繰り返さなくてもいいですけどね」
 世界で一番大事な、もの。
「そうだな…世界で一番大事な、人はYOUだな」
 ぐぃっと、少し強引に抱きしめた。先ほど近くまで抱き寄せたから、あとは抱きしめるだけ。
「私、ですか?上田さんの一番大事なもの」
「そうだ、俺はYOUが一番大事だ」
「ふぅーん」
 ん?と、思わず首をかしげる。
「不服か?嬉しくなさそうだな」
「嬉しいですよ、でも、なんだかうそ臭い」
「嘘じゃない」
 奈緒子を抱きしめるその腕に、奈緒子は静かに手を寄せた。白い手。
「上田さん、今の身分を捨てる事、出来ますか?」
「は?」
 自分の腕に触れる、少しひんやりとしたやわらかい感触にうっとりしていて自分の耳を疑った。
「聞こえませんでした?じゃぁもう一回言いますね。今の身分を捨てる事ができますか?」
「身分…って言うと?」
「日本科学技術大学、物理学教授の身分」
 質問の意図が、分からない。
「…なんでだ?」
「捨てる事なんか出来ませんよね、だから嘘くさいんですよ」
「何でだよ、俺はYOUが一番大事だ。だから…教授の身分くらい捨ててやるよ、YOUのためなら」
「やめてください、そういうの」
 触れていただけの白い手が、腕を静かに握った。
「親も友人もなにもかも、YOUのためなら捨ててやる」
「やめてくださいってば」
「何でだよ、聞いたのはYOUの方だろ」
「嫌なんですよ、そういうのって」
 腕を握る手に、僅かに力がこもったような気がした。
「どういうの、だ?」
「…それは」
「それは?」
 そういう答えを求めているのだと思ったのに…上田は少し不機嫌そうな表情で、奈緒子の髪に再び唇を落とした。今度は静かに。
「上田さんが上田さんじゃなくなる」
 ポツリと、奈緒子は言う。
「日本科学技術大学物理学教授じゃない上田さんは、上田さんじゃない」
 そうしてそのまま、続ける。
「家族を捨てる上田さんは上田さんじゃない、高慢ちきでプライドばっかり高い変な友人達を捨てる上田さんは上田さんじゃない」
「何だよYOU、それ、俺を貶してるのか?」
「事実じゃないですか、あの人たちの所為で私はすっごく傷ついた事があるんですよ。忘れたとは言わせませんから」
 ふっと思い出す、いつかの夜の事。
「忘れちゃいない、悪かったと思ってる」
「今更そんな事言われたって、あの時傷ついた事に変わりませんよ。自分が馬鹿にされるのが怖くて、私の事見捨てたくせに」
「だから、悪かったって。もうあんな事、絶対に言わせたりしないから」
「言わせる前に思わせないでください」
「…分かった、から。怒るなよ」
「怒ってなんか、いませんよ。思い出してむかむかしてるだけです」
「同じだろ」
 奈緒子がそんなにも傷ついていた事…気付かなかった自分を罵倒しながら上田は奈緒子の身体をきつく抱きしめた。
「…そうですね、同じでした」
 おや…?と、思う。奈緒子が首を捻ってコチラを見遣り、いたずらっ子のような無邪気な笑みを浮かべた。
「…どうした?」
「話がいつのまにか変わってました」
「あ、あぁ…そういえばそうだな」
「私…さっき、自分が一番大事って言いましたよね」
「ああ」
「それ、どういう意味か分かりますか?」
 さあ…、言葉には出さず、上田はジェスチャーで答える。
「上田さんが上田さんじゃなくなったら、私、上田さんの事、好きじゃなくなります」
「は?」
 またもやその言葉の意味が分からない。時に奈緒子は、よく分からない事を言う…
「私、上田さんを好きな自分が好きなんです。一番自分らしくいられるから」
 未だ尚、奈緒子は上田に視線を留めている。
「上田さんが私のために、身分や家族や友人を捨てたら…上田さんは以前の上田さんじゃなくなってしまう。私の所為で、上田さんが上田さんじゃなくなってしまう。そんなのは嫌です」
「…そう、か」
「ええ」
 何となく、わかった気がする。間接的に、奈緒子が一番大事だと思うものが、この自分なのだという事。
「…俺は、YOUが好きだ」
「どうも」
 突然、話の方向を変えるように上田が言ったものだから、奈緒子は一瞬きょとんとしてから、照れくさそうに視線を逸らした。
「それに、YOUと同じように、YOUの事を好きだと思う自分が大好きだ」
「ああ、上田さんは自分大好きって感じがしますよ」
 クスクスと笑う。
「おい、まだ話は終わってない」
「ああそうですか、それは失礼しました」
「…まぁ、いいんだけどな」
 なんでこんなに愛しいんだろう…さっきの奈緒子の言葉をふと思い出した。
「YOU、が…」
「は?」
「YOUが、俺が俺らしくいられる為の、大事な、人間…だ。って、そう思う自分が好き、だ」
 ことん、と、奈緒子が上田の肩にその頭を寄せた。
「そうですか」
「そう…だな」
「同じですね」
「ああ」
 自分が幸せなのは、奈緒子がいるから。そして奈緒子が幸せなのは、自分がいるから。なんだかまるで、掛替えのない自分の半身。映し鏡。
「…おかあさん、元気だよな」
「だからおかあさんって言うな」
「いいじゃないか、そう遠くない将来、そうなるんだから」
 いつか一緒になりたいと思っている、今すぐでもいい。そう続けながら、奈緒子の髪に唇を落とした。三度目だが、二度目の時のように静かに。
「そ…それでもまだ、ですから」
「固いなぁ、YOUは」
「いいじゃないですか、別に」
「そうだな、YOUらしい」
 幸せだな…なんとなくそう思った。こういう会話が出来る事、一緒にいられる事。
「この間」
 唐突に、奈緒子が口を開く。
「ん?」
「…この間、母が電話してきたんです」
「ほお」
 さっきはなかなか電話が繋がらないと言っていたのに?とからかうと、奈緒子は気にするような素振りも見せずに続ける。
「上田さんのご両親から、依頼があったらしいですよ」
「んっ?何だって?」
「だから、依頼、お守りの」
「…すまん、もう一回言ってくれ」
 突然の事で、うまく頭の中で整理できない。
「何訳のわからない事言ってんですか…」
「いいから、順を追って説明してくれ」
 やれやれ、と呆れながらも奈緒子は言う。
「インターネットでお守りの販売をしてるって話は知ってますよね?」
「ああ、前に聞いた」
「それで、上田さんのご両親から依頼があったんですって」
「…うん」
「だから多分、今頃は拝島の上田さんのご実家に行ってるんでしょうね」
 自分の耳を疑うとは、この事を言うのだろうか…?見当違いの事を思い浮かべてから、上田は勢いよく立ち上がった。
「うわっ?!」
 寄りかかるような形で抱きしめられていた奈緒子の身体は、バランスを崩して床に倒れこむ…両手を突いてしまった。
「早く言えよそういう事は!」
 ぐぃっと奈緒子の腕を掴んで半ば強引に立ち上がらせて、上田は困惑した表情で怒鳴った。
「いいじゃないですか、別に。母の商売の事なんて私達には関係のない事なんですから」
「関係なくないだろっ、YOUのおかあさんが俺の実家に…一大事だぞ!」
「そんな大袈裟な…」
 やれやれ、と、奈緒子は再び呆れる。
「行くぞ!」
「どこに?」
「拝島!」
「これから?」
「これから!ジェット機借り切ってでも今すぐ!」

 全く、なんて面白い男なんだろう…奈緒子は呆れながらも微笑んで、掴まれていた腕を払いよけてその手を握り締めた。
「ん?」
「じゃ、行きましょうか、上田さんの実家」
「お?おう…」
「紹介してくださいね、ちゃんと」
「あ?」
「上田さんの家族に会うの、初めてなんですから」
「…当たり前だ」
 こつん、と指先で奈緒子の額をつつきながら、上田も笑った。

 今頃拝島では奈緒子の母である里見と、上田の健在だという両親で、和気藹々とした遣り取りが行われているのだろう。その様子を思い浮かべながら、奈緒子は上田と共に道を行く。
 本当にジェット機を借り切った事には少々呆れたが…これもまぁ、上田らしさと言うところか。


 上田さん、訂正します。
 世界で一番大事な物、あなたのそんな、面白くってキラキラした、笑顔。


FIN


ヘーイホー☆
毎回同じで出しと言うのも悪くない…とか思った、記念すべきサイト入り口のカウンタ50000HIT!
の記念フリー配布小説の後コメです(笑)
ありがとうございます、日々足をお運びくださった皆様方。
こうしてまた、フリー配布モノを書くことが出来て、嬉しいです。
お持ち帰りはソースを開いてご自由に、どうぞ。
テーブルごとお持ち帰りいただけます。
お持ち帰りいただけた際には、ご一報ください。お礼に伺わせてください★
一日でどばーっと書けたので、勢いがある作品となりました。
甘めで、ね。
トリッカーには嬉しい噂も飛び交ってますし、幸先の良い50000HIT超えとなりました。
今後もどうぞお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

2005年5月9日(50000HITは4月の27日)



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